映画監督の大林宣彦さんが10日午後7時23分、肺がんのため東京・世田谷の自宅で亡くなった。82歳だった。
【写真】19年10月28日、東京国際映画祭オープニング上映舞台あいさつでの大林宣彦監督。左は妻の大林恭子プロデューサー
新人女優を起用した作品で一世を風靡(ふうび)し近年は反戦と平和を希求した映画作りを追求していた。16年8月に肺がんで余命宣告を受け、闘病と並行し映画製作を続けたが3月末に容体が急変。新型コロナウイルスの影響で公開延期となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の公開日だった10日に力尽きた。13日に家族葬を行い、今夏にお別れ会を開く予定だ。
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幼少期からブリキの映写機をおもちゃにしていた大林宣彦監督は文字どおりの映画オタクである。自主映画から、助監督を経ずに長編デビューしたのはこの人が草分けだった。
長編2作目「転校生」(82年)の地元(広島・尾道市)ロケが最初の取材だが、映画作りが体に染みこんでいるようで、映像の隅々まで事細かに説明できる人だった。生まれ故郷ならではの多弁と思ったが、その後もいつでもどこでも立て板に水だった。話は理屈っぽいが、作品には総じて詩的な薫りがあり、本人と作品のそんなギャップも魅力になっていた。
作品のテーマをたずねると決まって「それは写真(作品)を見てよ」とそっけなかった黒沢明監督とは対照的だったが、そんな黒沢監督にもなぜか信頼されていた。黒沢監督が出演したCMの演出や、晩年作「夢」(90年)のメーキングビデオも任された。水と油の相手でもあっさりと距離を縮める不思議な能力の持ち主でもあった。
一昨年の山路ふみ子賞で恭子夫人がプロデューサーとして功労賞を受けると車椅子で登壇。「長年私を助けてくれた妻が表彰され、人生で一番の幸せをかみしめております」と明かした。とつとつとした口調。この人が照れるところを見るのは初めてだった。
遺作となった「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は新型コロナウイルス禍で公開延期となっているが、最後の最後まで映画作りに関われたことは希代の映画オタクにとって本望だったと思う。【相原斎】
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